高校の倫理の授業などで哲学に触れる機会がありますが、たいてい何を言っているのか分かりませんよね。「神は死んだ」とか、「人間は考える葦である」とか。
でも、これは分からなくて当然なのです。
なぜなら、彼ら哲学者の言葉は、①普通の人が考えるよりもすっと考えた先にたどり着いた言葉だから。
さらに、彼らは②自分にしか意味が分からない独自の専門用語を使います。
この2つの条件が重なると、意味が分からなくて当然。
まず①ですが、哲学者という人種は、常に考え事をしています。
ニュートンは落ちるりんごを見て重力に気付いたといいますが、果たしてりんごが木から落ちるのを見ただけで重力まで考えつく人がどれだけいるでしょうか。
あなたは街で誰かとすれ違ったときに、その人の服装、持ち物を見て「これからどこに行くのだろうか」くらいまでは考えるかもしれませんが、「この服にこのバッグの組み合わせは不自然だ、どうやら見えっ張りな性格らしい、つまり生まれはこんな感じか、そもそも人間の見栄とは・・・」まで考えるでしょうか。
そこまで考えるのが哲学者です。
そして、哲学者の言葉が紹介される時というのは、たいていその結論だけが紹介されます。
いきなり結論だけを見て納得出来る人は少ないでしょう。
②については、例えば「神は死んだ」という時の、まず神の意味って何か分かりますか?神とは〇〇ですとすぐに答えられる人は少ないと思います。
また、死ぬという言葉にも色々と意味がありますよね。
一般的には、生物が生命活動を終えるという意味ですが、これも脳死を死亡判定にするのか、など結論の出ていないことです。
つまり、「神は死んだ」という言葉は2つのあいまいな言葉で成り立っているのです。
意味が明確なのは「は」くらいです。
しかし、哲学者は当然、2つの言葉の意味を分かって使っています。
例えばニーチェなら、「神」は「アイデンティティ」という意味で使っています(もしかしたら違う意味も含んでいるかもしれません)。
この意味が分かっているのが、哲学者本人だけなのです。
警察が事件の被害者のことを「ガイシャ」と言ったりしますが、これは警察関係者しか意味が分からないので業界用語と言われます。
業界用語は、専門用語と言い換えることもできます。
そして哲学者は、自分ひとりしか意味が分からない業界用語を使っているのです。
こんな言葉を聞いても、意味がわからないか、哲学者の意図とは違って解釈されるに決まっています。