人気バンドの「ゲスの極み乙女。」の「私以外私じゃないの」という曲があります。なぜこんな当たり前の事をタイトルにしたのでしょうか。その理由を考えてみました。
「私以外私じゃないの」という言葉を聞いて、みなさんはどう思いますか?
おそらく、「何当たり前のことを言っているんだ」と思うでしょう。
ですが、当たり前のことをわざわざ言うのは不自然だと思いませんか?
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例えば、ラーメン屋に入って、注文をします。
そして出来上がったラーメンが運ばれて来ます。
それを見て「これはラーメンですか?」と聞く人はいるでしょうか?
もしこんなことを聞くとしたら、次のような可能性が考えられます。
- 出されたものがラーメンではなく、そばだった。
- ラーメンだったが、その客はラーメン通であり、そのラーメンがラーメンとして認められないレベルのものだった。
- 客がラーメンというものを知らなかった。
1、2、3のどれであっても、客が運ばれて来たものがラーメンかどうかを疑問に思ったのは間違いないでしょう。
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この例を通して言いたいのは、「人が当たり前のことをいうのは、それを疑問に思ったからだ」ということです。つまりこの曲の場合、「私以外が私じゃないこと」に疑問を持っていたということになります。
多くの人は、そんなこと当たり前だと思うでしょう。
他人は自分ではないでしょう。
しかし、先ほどの例から考えると、川谷絵音はこのことに疑問を持ったということになります。「私以外は私ではないのか?私なのか?」という疑問を持ち、「私以外私じゃない」ことが分かったから、わざわざ作曲までして世間に伝えた。
そもそも、なぜ曲にしたのでしょうか。「私以外私じゃない」と思ったなら、そのままそう言えばいいだけの話です。
・・・曲というのは、何かしら感情が動いた時にできるものです。誰かを好きだ!とか、失恋してつらい...とか。
つまり、川谷絵音は「私以外私じゃない」ことに疑問を持っただけでなく、何かしらの感情も抱いたということです。曲の雰囲気からして、楽しい感情ではないと思います。
ではその感情とはなんなのか...この感情は、川谷絵音という人間しか感じない、異常な感情なのでしょうか。
・・・筆者は、そうは思いません。世の中の9割くらいの人が持っている感情だと思います。
でも、みなさんはこう思うかもしれませんね。「他人が自分じゃないことくらい、分かってるよ」と。
本当にそうでしょうか?
筆者がここでいいたいのは、川谷絵音が言っている「他人」と「自分」というのは、物理的な意味ではなく、精神的な意味です。
いやいや、自分は精神的な意味でも、他人と自分の区別くらいついてるよ、と思うかもしれません。しかし、そうでもないかもしれませんよ。
あなたは、憧れの人のまねをしたことはないでしょうか?行動でも、服装でも構いません。なぜこんなことをするのでしょうか。
それは、憧れの人のことをスゴイと思っているからです。そして、スゴイ人のまねをすれば、自分もスゴくなれる。
もちろん、まねをしている人は、そんなことは考えていないと思います。ただまねをしたいから、まねをしている。つまり、無意識だということです。
無意識ということは、考えていないということ。考えていないことは、当たり前だと思っているとも言えるでしょう。
ラーメンを目の前にして「これはラーメンですか?」とは言いませんし、もし隣の人がそんなことを言えば、「なに当たり前のことを言っているんだ」と思うでしょう。
そして、まねをすることは、憧れの人と同じになりたい心理からだということだと、先ほど言いました。同じになりたいというのは、物理的にだけでなく精神的にもです。中身が嫌いなあの人のまねをしたい、とは思わないでしょう。
「憧れのあの人のまねをしよう!」と思う人はいても、「自分はあの人と物理的にも精神的にも同じになりたいから、まずは見た目を似せるところから始めよう!」と思う人、自覚できる人はほとんどいないのではないでしょうか。
・・・ 長くなりましたが、要は、人はみんな憧れているものや好きなものに対して、同じになりたいと思う性質があり、しかも自覚していない。
そして、川谷絵音は気づいてしまったのです。「私が好きなあの人は、私と同じだと思い込んでいたことに気づいたけど、そうじゃないことにも気づいてしまった」ということに。 これはつまり「振られた」と言い換えることもできるでしょう。つまりこの曲の感情は「振られた」、失恋ソングであると言えます。
そう考えれば、他の部分の歌詞もすんなりと意味が入ってくると思います。
ちなみに川谷絵音は男なのに歌詞は女が主人公で、意味・主語がよく分からなくなるという方もいるかもしれませんが、これはおそらく、歌を作るときは人格が女性的になっているのでしょう。平安時代に女言葉で日記を書いた紀貫之と似たようなものだと思います。
好きなものと同じになりたいという感情を具体的に想像するには、千と千尋の神隠しのカオナシをイメージしてもらえれば良いかと思います。 人間は誰しもカオナシな部分があるんです。しかもそれは無意識、自分では気づいていません。
川谷絵音は、そんな自分に気付いて、でも自分と他人は精神的にも同じにはなれない、それが自分の思い込みであることに気づき、その現実を受け止めた。
このことに気づくためには、自分自身について相当考えないとたどり着けません。良い意味でも悪い意味でも、普通の人は普通のこと・常識には疑問を持ちませんからね(このあたりはゲス極の曲では「ノーマルアタマ」で触れていますね)。川谷絵音は、良いミュージシャンであり、良い哲学者だと思います。 普通の事しか言わないアーティストなんて面白くないですからね。
「両成敗でいいじゃない」 など、名曲ぞろいのアルバムです。「私以外私じゃないの」ももちろん入っています。